末廣園|お食事・鮮魚・天ぷら・うなぎ・地酒・ご宴会 横浜 六角橋 白楽駅徒歩5分
末廣園の歴史

牧場を営む一家の副業だった「ミルクホール」。 戦後、外食券食堂「厚生食堂」を開いた。そして 「末廣園」が生まれる。

末廣園のルーツは、1906(明治39)年まで 遡る。
当時ここは、房陽舎(ぼうようしゃ)と いう牧場だった。 そして、牧場経営と一緒に 「房陽舎ミルクホール」という喫茶店をやり、 牛乳とパンを提供していた。
牧場だっただけにミルクは産直だった。 しかし、1945(昭和20)年5月の 横浜大空襲で牛舎や馬・牛が全部燃えてしまう。
終戦になり、房陽舎牧場はその後、 牛乳の卸売りと並行して戦前からの 「ミルクホール」も再開させ、 食堂へと形態を変える。
それが現在の末廣園である。